ヤマアラシのジレンマ 2

 涼介が帰ると、ガレージにはFDの姿だけだった。
 リビングには煌々と明かりがつき、弟が帰っていることは明白だったが、涼介は違和感を感じた。
 今日はプロジェクトDのもう一人のドライバー、藤原拓海が早番ではなかっただろうか。
 プロジェクトの予定を組むために、涼介は拓海のシフト表のコピーを持っている。そしてそれは、弟もよく確認していて。
 ここ数ヶ月の間、あの二人がこそこそと会ってよからぬことをしているのは、わかっている。拓海が休みや早番の日は、ほぼ確実に啓介は出かけて行くのだ。
 それが今日は、家にいる。かといってハチロクの姿はない。拓海の予定がどうしても合わなかったのだろうか。
 確かにまあ、そんな日もあるだろう。むしろ今までのように週に何度も会いに行くほうが異常なのだから。
 涼介はリビングで不機嫌にしているだろう弟を思い浮かべ、玄関を通り、普段通りにリビングを覗いた。
「啓介? 帰って…」
 そして目の前に広がる光景に、涼介は目を見開いた。
 ソファの上で組み敷かれる拓海と、自身を埋め込んでゆっくりと腰を振る啓介。
「おかえりー、アニキ。早かったな」
 涼介は咄嗟に、表情を引っ込めて感情を打ち消した。
「……邪魔したな」
 それだけ言って、扉を閉めて部屋へ向かうため階段を登る。
 その間リビングからは拓海の喘ぎ声が聞こえ、涼介は忌々しげにギリ、と歯を食いしばった。
 ──わざとだ。
 啓介は自分に見せつけるために、わざとリビングで事に及んでいたに違いない。今日は早く帰れそうだと、今朝顔を合わせたときになんとはなしに話したのだ。
 それに自分がリビングを覗くまでは、不審な物音はしなかった。わざわざ音を立てないようにしていたのだろう。

 二人の関係は、涼介にはすべてお見通しだった。
 拓海が啓介を好いていること、そして、啓介も拓海を、心から愛していること。
 そう。二人は本当は両思いなのだ。なのにどういうわけか、二人は身体の関係を持っているはずなのに、恋人らしくない。
 そしてある日、涼介は気付いた。啓介は、重大な勘違いをしている。
 拓海が好きなのは自分ではなく兄だ、と思っているらしいのだ。
 涼介が拓海と話をしていると、異常なほどの視線を感じる。啓介から「藤原ってアニキの前だと顔真っ赤だよな、アニキのこと好きなんじゃねえの?」と冗談交じりに言ってきたこともあった。

 そしてもうひとつ、事をややこしくする要素がある。
 涼介も、拓海に恋愛感情を抱いているのだ。

 まるでいわゆる三角関係のようだったが、涼介には啓介と拓海が両思いだということがわかっていた。だから大事な二人には幸せになって欲しいと、できるだけ自分の思いは隠し通してきたつもりだ。
 しかし啓介はどうやら、いつか拓海を兄に取られるのではないかと不安を抱いていたのだろう。そしてその結果がおそらく、先ほどの行動だ。
 拓海は俺のものだという牽制。
 よりによって好きな相手が弟に組み敷かれ、しかも色っぽく喘いでいる声まで聞いてしまって、涼介は複雑な心境だった。下半身が少しうずうずしてきたが、なんとか気を落ち着かせてそれを鎮める。

 悶々と考え事をしていると、ガレージのほうからFDが出て行く音がした。
 なんだか早い気もするが、まあもう気が済んで、拓海を送り届けに行ったのかもしれない。
 それなら熱いコーヒーでも飲もうと、涼介は再びリビングへと戻った。
 なんだかどっと疲れた涼介は、ため息をつきながらリビングのドアを開ける。
「あ…」
 声が聞こえて、慌てて顔を上げると、涙を流す拓海と目があった。
 人の気配ぐらい感知できただろうに、涼介もらしくなくイライラしていたようで、まったく気付けなかった。
「藤原…」
 拓海は服も乱れたままで、ソファで膝を抱えて横になっている。涼介を見るとシャツで前を隠しながら慌てて起き上がった。
「す、すいませんっ…すぐ、帰ります…!」
 涙でぐちゃぐちゃの顔を拭いながら、拓海がかちゃかちゃとズボンを履き直す。なんだかその姿があまりにも不憫で、涼介は苦笑して首を振った。
「そう言わずに、コーヒーでも飲んで行けよ」
「え…」
「どうしてこうなったのか、大体の見当はつく」
 涼介がそう言うと、拓海は目を見開いて、次にしゅんとしてから、素直に頷いた。そのまま力なくソファに深く座り、俯く。
 確かに考えてみれば、あの涼介のことだ、啓介と自分のことくらい、お見通しなのだろう。
 涼介がキッチンでカップを二つ取り出しながら、「啓介は?」と聞いた。
「なんか…怒って…どっか行っちゃって…」
「……今日は、啓介の迎えで来たんだろ?」
 拓海が頷く。それじゃあ帰りも啓介が送る予定だったのだろうに、啓介がいないのでは、拓海は帰りの足がない。啓介がこのまま今日帰って来るかどうかは怪しいものだ。
「じゃあ、藤原の家までは俺が送るよ」
 コーヒーメーカーで保温されていたコーヒーを注ぎ、涼介は拓海のカップにはミルクと砂糖を入れてやった。
 すっかり着衣を整えた拓海の前に、カップを差し出す。
「あ…ありがとうございます」
 拓海がカップを受け取ると、涼介はにこりと笑って、自分もソファに座った。一人分ほどスペースを空けて並んで座る二人に、しばらく沈黙が流れる。
「……啓介と、うまくいってないのか?」
 沈黙を破ったのは、涼介の落ち着いた声だった。拓海はぴくりと肩を揺らしたが、カップの中のコーヒーを見つめながら、小さく頷いた。
「俺でよければ相談に乗るよ。…二人ともプロジェクトの大事なドライバーだしな。あんまりややこしくして欲しくない」
 確かに涼介に相談すれば、百人力だろう。今までも何度か話してみようかと思わなかったでもない。
 こうして関係が完全にばれてしまった今、頼れる存在である啓介の兄・涼介に、拓海はすべてを打ち明けることにした。
「……俺、は…啓介さんが…好きなんです」
 ぽつりと話し始めた拓海に、涼介はぐっと歯をかみしめる。わかっていたこととはいえ、こうしてはっきりと誰それが好きだと言われると、つらいものがあった。
 それでも表には出さず、あくまで穏やかに、相槌を打つ。
「でも、啓介さんは、俺のこと好きじゃないから…」
 思わぬ言葉に、涼介は眉根を寄せた。
「……啓介が藤原に言い寄って始まった関係なんじゃないのか?」
「え…いえ、なんというか……最初は、冗談みたいな感じで…お互い彼女いないんなら、そういうこと、してみるか、って言われて…」
 涼介は呆れかえってしまった。弟がそんなに意気地無しだとは思わなかった。そんな方法で、拓海を手に入れようとしたのか。
 自分が思っていた以上に、状況は複雑らしい。
「俺と会うといっつも不機嫌で、その……セ、ックス…のとき、だって…痛いこともよくされるし……苦しそうな顔ばっかしてて…」
 呆れるどころか、涼介は今、腹の底から怒りがこみ上げて来ていた。
 イライラする。自分と違って両思いだというのに、勘違いして勘違いさせて、それなのに身体だけは重ねて。
 目の前の拓海の姿を見ると、啓介をぶん殴ってやりたい気分だった。悲しそうでつらそうで、だがそれでも、啓介のことを好きだと言う。ひどいことをされ、愛を感じなくても。
 どうしてそれに気付いてやれないんだ。
「……啓介は」
 おまえのことが好きなんだぞ、藤原。
 そう言おうとして、涼介はなぜか、口をつぐんだ。
 言えない。
 言えば、二人の関係は良好になるかも知れない。それは拓海と啓介にとって幸せなことかも知れない。兄として、プロジェクトのリーダーとして、祝福してやるべきことかも知れない。
 だが自分だって、拓海には特別な想いがあるのだ。
「…ひどいやつ、だな…」
 涼介は、最悪の気分だった。
 自分は心のどこかで、弟と拓海が破局するのもいいかもなと思っている。そうすれば自分にもチャンスが巡って来るのではないか、と。
 そんな考え方をする自分が信じられなくて、許せないくらいに汚らわしいと思った。
 二人に幸せになって欲しい気持ちも嘘ではない。しかし、譲りたくないという思いも同時にあるのだ。
 そうして気が付けば、絶対に伝えてはならないと思っていた気持ちを、口走ってしまっていた。
「俺なら藤原を、もっと幸せにしてやれるのに」
 拓海が、「え」と小さく声を上げる。驚いて見開かれた潤んだ瞳を、涼介はじっと見つめた。
 涼介は、拓海の澄んだ瞳が好きだった。しかしプロジェクトを始めたころに比べ、それは少し翳っているように見える。そういえば最近、少し痩せてもいる。
 すべて啓介のせいか。そう思うと、身内として情けない思いと、恋敵として憎たらしい思いが混じり合う。
 もう、このまま傍観者なんてしていられない。これ以上、嘘の自分を演じ続けるのはやめようと、涼介は静かに決意した。
「藤原」
 静かに名前を呼ぶと、拓海はまっすぐに見つめ返してきた。
「おまえが、好きだ」
 真剣な表情で告げると、拓海はさらに目を見開いた。
 もし、拓海が啓介から逃れたいと少しでも思うなら、この手をとってくれればいい。もし、それでも啓介のことを好きだと言うのなら、そっと啓介の本心を教えてあげよう。そう思った。
「俺なら藤原を傷つけない。啓介なんかより、大事にする。俺じゃダメか?」
 言っているうちに、どんどん気持ちが強くなってきた。
 そうさ、啓介よりも、自分のほうが拓海を幸せにしてやれるんだ。惚れさせる自信だってある。
 弟の恋路を邪魔したくないのも本心だが、拓海を諦め切れないのも事実。遠慮なんかしないで、ぶつかってみればいいじゃないか。
 しかしあくまで、それは拓海が選ぶことだと、その考えは揺らがなかった。強引に手をとったって、それでは拓海の中で迷いが残る。彼は見た目の印象と違って、自分の意思をしっかりと持つ芯のある人物だ。本人が納得していなければ、何の意味もない。
「……涼、介、さん…」
 拓海はと言うと、静かな表情をしたまま、内心ものすごく混乱していた。まさかあの眉目秀麗、頭脳明晰、クルマを走らせる技術も群馬一の涼介が、そんなことを言うとは、夢にも思わなかった。
 目を逸らし、困ったように視線を泳がせる拓海。涼介は、じっと返事を待っている。
 涼介のことはかっこいいと思うし、近くで見ればドキドキするし、憧れている。崇拝していると言ってもいいかも知れない。しかしそれは恋愛感情とは違う、尊敬や敬愛の念だ。
 そんな人に好意を寄せられているなんて、光栄かも知れない。自分なんかでよければ、応えたいとすら思う。
 でもだめだ。自分には、好きな人がいるのだから。その気持ちは裏切れない。それに、このまま付き合えば涼介にだって失礼だろう。
 拓海はそう考えて、ぐっと唾を飲み込んで、コーヒーのカップをすぐそばのサイドテーブルに置き、顔を上げた。
 瞬間。
 頭が真っ白になる。
 涼介の瞳に宿る光が、啓介を思い起こさせのだ。
「っ……」
 似ている。
 兄弟なのだから、当たり前なのかもしれない。でもこんなに似ているなんて。
 しかしそれは啓介の睨みつけるような目ではない。優しく穏やかな、すべてを包み込むような瞳。その目はすべてを見透かし、物事を良い方向へと導いてくれるものだ。
 咄嗟に頭に浮かんだ言葉に、拓海は絶望する。
 “すがりたい”。
「……藤原?」
 決意した様子だった拓海が泣きそうな顔に変わり、涼介は思わず名前を呼んだ。
 その声に拓海はついに参ってしまい、両手で頭を抱え、髪をぐしゃりと握って俯いた。
「藤原…」
 大丈夫か?と言いたげな、心配そうな声。心に沁みる、優しい声。
 揺れている。啓介なんか忘れて、この人にすがりつけばいいのではないか。そのほうがきっと、幸せになれる。
「……ごめんなさい」
 拓海の口から漏れた謝罪の言葉に、涼介は苦しげに目を細めた。しかし。
「俺、もう、わかんないです……」
 続いた言葉は、意外なものだった。
「最初は、何があっても、啓介さんを好きでいる自信があったんです……でももう、耐えられないかもって…思ってて……」
 好きな相手とのセックスならば、そこに愛がなくても幸せなのではないか、なんて、甘かったのだ。せめて、おかしいと思った時点ですべてを投げうつ度胸があればよかったのに。ずるずると今まで関係を続けてきた。
「全部自分が悪いのに…今、涼介さんに、助けて欲しいって、思った…」
 情けないことを言っていると、拓海は自分が嫌になり、涙がこぼれた。
 啓介はひどい男かも知れないが、悪くはない。遊び相手と遊んでいるだけだ。嫌だと言えばおそらく放してくれるのに、それをしなかったのは自分だ。自分の想いをひた隠しにして、啓介の冗談を利用し良い思いをしようとした。だから罰が当たった。
 そのうえで、涼介の想いまで利用しようとしている。最低の人間だ。
「涼介さんなら……俺を、助けてくれますか…?」
 思わぬ展開に、涼介の心臓は逸る。拓海は涼介の想像以上に、精神的に追い詰められていたようだ。
「……ああ。俺が、藤原を助けてやる」
 それはプロジェクトでも聞いたことのある、絶対的な信頼と安心を与える声だった。
 拓海は顔を上げ、涼介を見上げる。優しくて強い眼差しが、かちりと合わさる。
 そして涼介は、静かに拓海に口付けた。




「……ちくしょう……」
 数十分前。セックスを放り投げて拓海を置いてきた啓介は、近所のコンビニにいた。
 駐車場にFDを停め、タバコを買い、今はクルマの中で何本目かのタバコを吸っている。

 さっきの拓海の態度。あれで決まりだ、と思った。
 やっぱり拓海は兄のことが好きなのだ。
 だから、見られてショックを受けて、萎えて。それでも強引にセックスしようとしたが、自分自身がどんどん気が乗らなくなっていった。
 今までは、心のどこかで、本当は自分を好きなのではないかと思っていた。最初は冗談半分で始まった関係だったが、どんなときでも誘えば応える拓海に、こいつ俺のこと好きなんじゃねえの?なんて。
 だがプロジェクトで会うと、白々しいほど今まで通りの関係を貫き通された。確かにそれは、間違ったことじゃない。プロジェクトに私情は挟まないというのは、見上げた行為だ。しかし気に入らなかったのは、兄への態度。
 拓海は涼介を見るたび、話すたび、近付くたび、頬を染めて緊張した面持ちになる。そう、まるで恋でもしているかのように。
 涼介は啓介にとって、最高の兄だ。彼がどれだけ素晴らしい人間かは、自分が一番よく知っている。この世で一番いい男だと、本当に思う。だからこそ、拓海の気持ちも、当然かも知れないと思った。
 そして自分は、兄の代わりなのだろうと。
 いつか拓海に言われたことがある。「啓介さんって、ときどき涼介さんに妙に似てるんですよね。やっぱり兄弟ですね」。その言葉は、ずっとずっと啓介の心に引っかかっていた。
 拓海はセックスのとき、決まって目を閉じる。そうすることで、なんとか兄を重ねていたのだろう。だからいつも切なそうな顔で、泣きそうになりながら、セックスをしているのだ。
 そう思うから、優しくできなかった。俺は遊びなんだとあからさまに装って、愛の言葉の一つも囁かなかった。
 拓海と自分の関係は、セックスフレンド。拓海にとって自分は、涼介の代わり。そこに変な愛情があったなら、この関係は崩れてしまうかも知れない。
 拓海は変に真面目な男だ。啓介が遊びだから付き合ってくれているのであって、本気だと知れば申し訳なくなって関係を絶ってしまうような気がした。
 そうはさせるかと必死に冷たくしていくうちに、啓介は、どんどん自分の気持ちを晒せなくなっていったのだ。

 しかし、こうして冷静になってみると、拓海にはひどいことをしたなと思う。
 本当に好きなら、何があっても優しくしてやるべきだったのに。あんなに冷たい態度をして、一体何をしていたんだろう。
 兄と自分じゃ勝ち目がないなんて諦めていないで、拓海を振り向かせるぐらいのつもりで接していればよかったんじゃないのか。
 そうだ。やってみなきゃわからないじゃないか。
「……謝ろう」
 啓介は呟いてから、タバコをアッシュトレイに押し込んで、慌ただしくFDを発進させた。




 ガタ、と、不穏を知らせる音がする。
 涼介と拓海が振りかえると、開いたままだったリビングの扉の前に、啓介が立っていた。
「啓、介さん…!!」
 どうして気付かなかったのだろう。FDのエキゾーストが聞こえたはずだろうに、キスに夢中でわからなかったらしい。
「……何、してんの?」
 啓介は渇いた笑いをこぼして、拓海を見た。
 涼介がすっと立ち上がり、拓海と啓介の間に立ちはだかる。
「啓介、これは…」
「何? かわいそうな藤原を、アニキ直々に慰めてやってたのか?」
「違う。啓介、聞いてくれ……この機に話しておくが、俺はずっと藤原が好きだったんだ」
 啓介の耳の奥で、ぷつん、と、何かが切れる音がした。
 ああ、終わった。
 この二人は、両想いだったのか。
「…へえ。そっか。よかったじゃん。そんで想いが通じたってわけだ?」
 ちらりと拓海を見てみると、涼介の背後で何やら怯えたような顔をしている。
 そんな顔するなよ。せっかく恋が成就したっていうのに。啓介は、なぜだか腹が立ってきた。
 祝福してやりたい、これでやっと諦められる。そんな気持ちもあるというのに、どんどん心が尖っていく。
「じゃーさ、そのまま襲っちまえよ、アニキ」
「……おまえ、何言ってんだ?」
「ほら、早く俺とのセックス上書きしてやれって」
「啓介。俺はな…」
「やんねぇの? じゃあ、俺がお手本見せてやるよ」
 啓介は涼介の肩をどついて、拓海に近付いた。拓海がビクリと震えるのを見て目を眇め、しかし構わずソファに組み敷いた。
「け、啓介さん!!」
「啓介!」
 ほぼ同時に涼介と拓海が叫んだが、啓介は冷たい笑みを浮かべ、拓海の首筋に顔を埋める。
「っ……」
 べろりと首筋を舐められて、拓海が顔をしかめる。
「藤原の弱いとこ、全部アニキにレクチャーしてやるよ…」
 ああもう、どうにでもなれ。こういうのを、自暴自棄って言うんだろう。啓介は頭の中で、驚くほど冷静にそう思った。
 拓海に謝ろうと言う考えは、どこかへ吹き飛んでしまった。今はとにかく、相思相愛の二人を見て、悔しくて仕方がなかった。
 こうなったら逆に、拓海を傷つけたくてたまらない。二度と忘れられないほど、記憶に、身体に、刻み込んでやりたいと思う。
「啓介、いい加減にしろ! そんなことして何になる、おまえは本当は──」
 藤原を好きなんだろ。そう続くはずだった言葉は、啓介が睨んだことによって、回避された。
 なんて悲しい目をしているのだろうと、涼介はぞっとした。
「……じゃあアニキは黙って見てろよ。まあどうせ、ガマンできないだろーけどな…こいつ、シてるときすげぇエロいんだぜ?」
 涼介に向かってそう言う啓介を見上げながら、拓海は殴り飛ばしてやろうかと、拳を握った。しかし、いまいち力が入らない。こんなことをする啓介を見ると悲しくて悲しくて、震えが止まらなかった。
「ほら、藤原。いつもみたいに足開けよ。おまえのやらしー姿、アニキに見せてやれって」
 拓海の眦から、ぽろぽろと涙がこぼれる。涼介は啓介を引き剥がそうと、すごい力で肩を掴んだ。しかしその手に、拓海の手が重なった。
 涼介も啓介も、拓海のその行動に、動きを止める。拓海は涼介を見つめ、ゆるゆると首を振った。
「ケンカ…しないでください……」
 拓海は泣きながら、微笑んでいた。二人をなだめるように、そして、自分自身を誤魔化すように。
「俺…啓介さんも涼介さんも、好きですよ」
 嘘だ。
 二人は、揃ってそう思った。

 拓海が好きなのは、自分じゃない。

 


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