こんなキスを、俺は知らない(前編)

「プロジェクトDの伝説樹立を祝って、乾杯!」
 涼介の一言で、なみなみとビールの注がれたジョッキが、一斉に頭上に掲げられる。がちゃんがちゃんとうるさい音を立てながら、皆それぞれグラスを叩き合った。
 今日は、先週ついに終わりを迎えた、プロジェクトDの打ち上げだ。
 全戦全勝。その一言で片づけるには、あまりにも壮絶な戦いばかりだったが、こうして無事に終わってよかったと思う。
 よくもまあここまでやってきたもんだと、メンバー全員、過去のバトルの話題で盛り上がる。

 始めのうちは涼介が上座、ドライバーはメカニックと隣り合わせという形で座っていたが、今はもうぐちゃぐちゃだ。
 リーダーである涼介はメンバーひとりひとりに丁寧に声をかけ、ケンタはど真ん中で歌い出し、史浩はすでに壁にもたれてウトウトしている。拓海としばらく話していた松本も、今はFDメカニックのメガネと何かを熱く語り合っていた。
 色んなメンバーに代わる代わる話しかけられていた拓海も、今はそれが途切れてやっと落ち着いていた。すっかりぬるくなってしまったビールを一口舐めると、その苦さに顔を顰める。
「何、藤原ビール苦手なの?」
 急に隣から声がして、拓海はぎょっとしてそちらを見た。
「啓介さん」
 ついさっきまで自分と同じように忙しなく話しかけられていたはずの啓介が、なぜここに。
「げっ。もう飲み始めて1時間も経ってんじゃん。せっかく藤原とゆっくり話せると思ってたのにさー」
 そう言う啓介の顔はなんとなく赤みがさしていて、やけに機嫌がよさそうだ。どうやら他のみんなと同じように、程良く酔っているらしい。
「ビール苦手なら、他のもん頼めばいいのに」
「え。いや、だって、空にしてからじゃないと、なんか悪いかなって」
「はあ?」
 啓介はおかしそうにケタケタ笑い始めた。
 プロジェクトでは見たことのない表情に、拓海はドキリとする。
(ああ、こんな顔もするんだな)
 いつからだったか思い出せもしないが、拓海は啓介のことを、恋愛対象として見ていた。
 プロジェクトで激戦を勝ち続ける啓介の姿を見るたび、その想いはどんどん大きくなって。最初は憧れの延長程度だった気持ちも、今やキスしたいとかセックスしたいという欲求まで出てきてしまった。
 啓介のことを考えながら性欲処理をしたこともあるし、夢精したことだってある。しかし、なんせ男同士だ。こんな気持ちは、今日限りで、心の奥底に封じ込めなければならない。
 とはいえ、明日からはきっと会う機会すらないのだから、今日はしっかり啓介の顔を記憶に焼きつけておこう。
「じゃ、このビール、俺がもらってやるよ」
「ええ?」
「ほら、次なに頼むか決めとけ」
 啓介がぽいっとメニューを投げて来て、慌てて受け取る。その間に啓介はさっさと拓海のグラスに口をつけていた。
(あ)
 間接キス。
 そんなことを考えて、拓海は慌ててかぶりを振った。思春期の中学生じゃあるまいし、そんなことがなんだって言うんだ、と自分を落ち着かせる。
 拓海の混乱も知らずに、啓介はぐびぐびと一気にビールを飲み干した。
「まっじぃーー!! 炭酸抜け切ってるし超ぬっりー!!」
 何がおかしいのか、げらげらと笑う啓介。そんなに言うくらいなら飲まなきゃいいのに、と思ったが、なんだか言うと絡まれそうだったので、拓海は黙ってメニューを見つめた。
 すると、そこへぬっと啓介が顔を近づけてくる。
「うわっ!」
「お子ちゃまの藤原には、カクテルとかがいいんじゃねぇの?」
 見慣れないカタカナばかりのページを指差しながら、啓介が言う。するとものすごい酒の匂いが鼻をついて、拓海は眉間にしわを寄せた。
「啓介さん、すげー酒くさいっすよ」
「うるせーなぁ。おまえも飲めばわかんなくなるっつの。ほら、これは? シャンディガフ」
「なんすか、しゃんでぃーがふって」
「ばっか。ビールとジンジャエールだよ」
「えぇー…俺、炭酸はちょっと…」
「はあー? じゃ、カシオレは? これほぼジュースだぜ」
「それ、騙されたと思って飲んでみろって言われて飲んだことありましたけど、騙されました」
「ぶっ! 何ソレ。藤原、ひょっとして酒ダメなんか?」
 笑顔全開で聞かれて、拓海は唇を尖らせた。苦手なことには違いないが、そもそも未成年なのに、なんでそんなふうに言われなきゃならないのか。
 拓海がむくれたことに気付いたのか、啓介はメニューをめくり、焼酎と日本酒のページを開いた。
「じゃ、日本酒にしとけ。ちびちび飲めば、弱くっても案外いける」
 反論する前に、啓介はもう店員を呼びつけて注文を始めてしまった。
 強引だなあと思いつつ、それに振り回されるのが悪い気しないなんて、まったくもってどうかしている。
 追加のおつまみまで頼んでいる啓介の横顔を見ながら、拓海はきゅんきゅん言う胸を静めようと、こっそり深呼吸をした。


 啓介が勧めてくれた日本酒は、甘口でとても飲みやすく、アルコールの苦手な拓海でも少しずつ飲めるものだった。
 思考回路がふわふわしてきて、拓海もだんだん良い気分になってきた。
「あんときは、ほんとーぉーに、負けかると思いましたよー」
 気が付けばメンバーのうち半分程度が酔い潰れて倒れている中、ダブルエースは今までのバトルのことなんかを振り返っている。
「こうして全戦全勝で終われたのが、夢みたいっす」
 だらだらした口調で拓海が言うと、啓介がうんうんと頷く。
「まあ、俺はおまえが負けることはないって思ってたけどなー」
「いやー。はっきり言って、ほとんど負けに近いバトルばっかでしたよ。啓介さんみたいに完全勝利じゃなくって、なっさけねぇ勝ち方ばっかり」
「んなことねぇよ。どんな勝ち方でも、勝ちは勝ちだろ」
 啓介にそんなことを言われると、ものすごく照れる。熱いまなざしが向けられていて、なんだか、この人ひょっとして俺が好きなんじゃないのか?なんて思えてきた。
 しかしいくら酔っているとはいえ、そんなわけないことぐらいはわかる。
「藤原はさ、これから先、どーすんの?」
「んー。とりあえずは仕事続けながら、ライセンスとったり、レースに出たりっすかね。一応、GTの世界に興味があるんですけど」
「おっ。マジか! 俺もやるならハコレースだと思ってんだよ。なんだ、じゃあこれからもライバルだな!」
 啓介が嬉しそうに言ったが、拓海は、一瞬表情を曇らせた。
 そんなふうに言ってくれるのは嬉しいが、これから先もこの想いを隠さなくてはいけないのかと思うと、苦しい。いっそきっぱり会えないほうが、諦めがつくのに。
「……そうですね。俺、啓介さんには絶対負けませんよ」
 それでもなんとか口角を引き上げて、挑戦的なセリフを口にした。確かに啓介のことは好きだが、それ以前に、何よりも大事な仲間でライバルだからだ。
 こんな恋愛感情は、きっと一時のもの。時間が経てば薄れて、忘れていくはず。拓海は自分に、そう強く言い聞かせた。



 夕方から始まったはずの打ち上げは、明け方近くになってようやくお開きになった。
 メンバーたちが名残惜しそうにしながらも散らばっていく中、拓海は店先で、涼介と立ち話をしていた。
「こんな言い方をするとまるでお別れみたいだが、本当に、よくやってくれたな」
「そんな、俺こそ、めちゃめちゃお世話になって…なんてお礼を言ったらいいか」
「いや、それは俺のほうだよ。啓介も藤原も、俺の想像をはるかに超える成長ぶりだった。おまえたちがいなければ、俺の最速理論は完成されなかった…本当に、感謝してもしきれないよ」
 リーダーの顔でそう言われると、感無量になって涙が浮かんでくる。
 拓海が泣くのをこらえて唇を震わせていると、涼介がぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「プロジェクト自体は終わったけど、またこうして、みんなで集まって飲もうぜ」
 優しい微笑みでそう言われ、拓海は泣き笑いの表情で頷く。
 そのとき、啓介が店の中から出て来た。飲みすぎたとか言いながらトイレに駆け込んでいったきりだったのだ。
「大丈夫か、啓介?」
 涼介が声をかけると、さっきよりは顔色のよくなった啓介が、苦笑しながら片手を上げる。
「悪いけど、俺はこのまま大学に行かなきゃならないんだ。一人で帰れるだろうな?」
「へーきへーき」
 少し心配そうな兄に啓介が笑顔を向けると、
「そうか。…じゃあ、またな、藤原」
 そう言って、涼介は歩き出してしまった。
「……大変ですね、涼介さん…」
「そだなー。まあ、これからはプロDがないぶん、ちょっとは楽なんじゃねーかな」
 啓介とそんなやりとりをしていて、はたと気付く。
 なんと今この場所で、拓海は啓介と二人っきりだったのだ。
 涼介と話している間に、どうやらみんな帰ってしまったらしい。
「……」
「……」
 それじゃ俺も帰りますね、と、そんなセリフが頭に浮かんではいるのだが、口も開かなければ足も動かない。これでしばらく啓介にも会えないかも知れないと思うと、帰りたくない気持ちに駆られたのだ。
 啓介は啓介で、黙り込んでいる拓海に付き合うかのように、その場でタバコなんて吸い始めた。
 そっとその顔をうかがって、激しく後悔する。
(だめだ)
 どうしても、この人が好きだ。
 さっきまではどれだけ近付いていても、周りの目もあったから自分を制御できていたけれど、今は。
 人気のない通りで、二人きり。
(……そうだ。最後くらい…)
 これは、運命のいたずらではないのか。神様がくれた、最後のチャンス。
 まだ酔いが残っているからか、拓海はとんでもないことを思いついた。
「啓介…さん」
 ゆっくり名前を呼ぶと、啓介が「ん?」と顔を向ける。
 拓海は意を決して、その瞳をまっすぐに見つめた。
「ぎゅーってして、いいですか?」
 啓介の茶色い瞳が見開かれるのが、スローモーションで見える。心臓は破裂しそうなほどうるさい音を立て、掌には緊張から汗が滲んできた。
 最終願望はキスやセックスだったが、それはさすがに無茶な注文だ。でも、ハグぐらいなら男同士でもセーフだろう。
 最後の思い出に、自分を諦めさせるために。拓海は強い意思で、啓介を見つめ続けた。
 そして、啓介の答えは。
「…いいぜ」
 へらっと笑って、呆れてしまうほどあっさりと、両腕を広げた。
 ああ、意味わかってないんだな。よかったような、悪かったような。拓海は拍子抜けしたが、それでもチャンスをものにできたことで、ほっとした。
 突撃するほどの勢いで啓介の胸に飛び込むと、首に腕をまわして、力の限り抱きしめた。
(……やばい)
 ぎゅううっと痛そうなくらい力を込めながら、拓海は目を閉じる。
 鼻をつく、啓介の匂い。アルコールも混じっているけれど、タバコと、香水と、汗の匂い。
 心が折れそうなくらい、愛しいと思った。
「急にどーしたー?」
 子供をあやすようにそう言って、啓介が拓海の背中に手を回す。
 そこまでサービスしてもらえるとは思っていなかったので、拓海は嬉しさと切なさで胸がいっぱいになった。
「啓介さん…」
 応えるように呼んで、拓海はついに、口にしてしまう。
「俺、啓介さんのことが、ずっと好きだったんです」
 その一言で、啓介が動きを止め、場の空気が明らかに凍りついた。
 深く考えずに秘密を打ち明けてしまった拓海は、ハッとして啓介から身体を離す。
「…っ……ほんとにすいません…ありがとうございました!」
 拓海は啓介の顔も見ずに頭を下げると、そのまま背を向けて全速力で走り出した。
 まさに脱兎のごとく逃げ出して、酔ってもつれる足を叱咤し、駅まで走り続ける。
(やってしまった)
 そう思ったが、気分は意外とすっきりしていた。最後に良い思い出づくりができたんじゃないだろうか。啓介はさぞ驚いただろうが、次に会うことがあっても、そのときはきっと、何もなかったように接してくれるだろう。
 なんだかこれで、啓介のことを諦められるような気がする。
 そんな幸せな気持ちに満ちていた。




 しかし一週間後。
 事態はかえって悪化していた。

 啓介に抱きついたときの匂いが、体温が、腕の感触が、身体の奥から離れない。
 おかげで、以前は週に1、2回だった自己処理が1日2回にまでなり、夢にも啓介が現れて、夜もろくに眠れないのだ。
 啓介を諦めるどころか、会えないと思うと日増しに好きな気持ちが深くなっていく気がした。
 それでもなんとか仕事をこなし、やっとやってきた週末。しかしプロジェクトDが終わった今、週末に予定なんかあるわけでもなく。
「……参ったな」
 こんなことなら、ぎゅーってさせてくれなんて言うんじゃなかった。あのとき中途半端に優しくされたことで、もっと先の、キスとかセックスを期待する気持ちが生まれてしまったのだ。
 良い思い出だなんて、考えが甘かった。自分で想像する以上に、この想いは強かったのだろう。

 寝るに寝れられず、ベッドの上でしきりに寝がえりを打っていると、不意に携帯が鳴った。
「電話…?」
 時計を見ると、夜の11時。こんな時間に誰だよ、と思って携帯の画面を見ると。
 “高橋啓介”。
「えっ…」
 なんで、啓介が電話なんて。
 心当たりがないか思考を巡らすが、あるとしたら、どう考えても、あの日のことしかない。
 動揺したまま通話ボタンを押して、電話を耳に当てた。
「……もしもし」
 なんとかそれだけ絞り出すと、
『久しぶり』
 返ってきた啓介の声は、なんだか暗かった。
「あ…お久しぶりです」
『今、何してた?』
「え? いや、もう寝ようかと思って…」
『そっか。……悪いんだけどさ。今からちょっと、会えねぇかな』
「えっ」
 拓海は自分の耳を疑った。
『話したいことがあるんだ。今から迎えに行くから』
 それだけ言うと、返事も聞かずに電話は切れた。
 拓海は夢でも見ているのかと思って、自分で自分の頬をつねる。
「いてっ」
 すごい力でつねったせいで、頬がじんじん痛む。どうやら、夢ではないらしいが。
 しかしなんだって、急に会おうなんて言い出したんだろう。理由を考えてみても、よくわからない。まさか「俺も好きだ」なんて言われるわけないし、かといって「気色悪いんだよ」とか苦情を言うにも今更だ。
 そこまで考えて、ハッとする。もしかして啓介は、律義に拓海の告白に返事をしようとしているんじゃないだろうか。よく考えてみたけど、やっぱりおまえを恋愛対象としては見れねぇよ、みたいな。自分を大事な仲間やライバルとして認めてくれている啓介のことだ、そのまま放置しておくのを悪いと思って──
 なんだ、そういうことか。拓海は一人で納得したように頷いて、暗い面持ちでベッドから降りた。
 わざわざフラれに行くのもあまり良い気分ではないが、啓介がせっかく話し合いを設けてくれるのなら、その厚意は受け取らなければ。それに、そうなれば今度こそ、啓介のことを諦めるきっかけになる。
 のろのろと部屋着から外行きの服に着替えながら、拓海は何度もため息をついた。



 数十分後。
 思ったより早く到着したFDに乗り込んで、連れて行かれた先は、秋名湖だった。
 クルマを停めたものの、啓介はエンジンも切らず、じっと運転席に座って黙ったままだ。しかし何かを言いたそうな雰囲気は感じるので、拓海も口を出さずに目の前の景色を眺めていた。
 フロントガラス越しに見える秋名湖は、月の光がゆらゆら映り込み、存外にきれいだ。今、月が出ていてくれて、本当によかったと思う。きらめく湖面を見つめていれば、こんな息苦しい時間もなんとかこらえることができた。
 それにしても、こんなところに二人で来るなんて、デートみたいだな。ぼんやりのんきなことを考えていると、ついに啓介が口を開いた。
「……本気になっちまったんだよ」
 急にそんなことを言われて、拓海は面食らった。
「…は?」
 意味がわからない。本気って、何の話だろうか。
 啓介は大きく舌打ちすると、視線を秋名湖から拓海に移した。
「だーかーらッ、藤原のことを好きになっちまったんだよッ!!」
 怒号のようにそう言われて、拓海は咄嗟に理解できなかった。
 十回ほど瞬きしたあたりで、やっと“好き”という言葉が頭に染みてくる。
「……え、えっ、えええ!!?」
 大声を上げると、啓介が悔しそうな顔をしてハンドルに突っ伏した。
「…俺だって、藤原のこと、ずっと意識してたんだよ…でも、それが恋愛感情だって、認めちゃまずいと思って…」
「そ、そんな…」
 バカな、と心の中で続けると、啓介がキッと睨んできた。
「藤原だって、俺が好意持ってんの、ほんとは勘付いてたんじゃねーのかよ?」
 そりゃあ、他のメンバーよりも親しくしてくれてるなとか、やけにボディタッチが多いようなとか、そういうふうには感じていたが。だってそれは、友達に対するものだとばかり思っていたから。
 拓海が「それは」とか「でも」とか口ごもっていると、啓介は長い長いため息を吐いた。
「…Dが終わって距離置けば、こんな気持ちも忘れるかなって思ってたけど……おまえがあんなことするから」
 あんなこと。
 そう言われて、拓海は自分がしたことを思い出し、耳まで真っ赤になった。
 やっぱりあのときは酔っていたと思う。じゃなきゃ、あんな恥ずかしい行動、とてもできない。
「……すいません」
 思わず謝ると、啓介は「まったくだ」とバケットシートに深く座って、腕を組んだ。
「責任とってくれんだろーな」
「へ? ……責任?」
 責任ったって、ハグをなかったことにはできないし。そんなすっとぼけたことを考えていると、それがわかったのか啓介が「だああ!」と叫ぶ。
「だーかーら!」
 そこまでは強い口調だった啓介の態度が、急にしおれていく。
 あーとかうーとか言ってから、絞り出すように一言。
「……俺と付き合えってことだよ……」
 インパネの明かりに照らされている啓介の顔が、暗がりでもわかるほど、赤い。
 拓海はまったく想像していなかった展開に、終始ぽかんとしていた。
「……」
「……」
 そのまま沈黙が続いたが、やがて、
「…ぷっ」
「……くくっ…」
「あはははははっ!」
「はははは!」
 どちらともなく、笑い転げた。
「啓介さんのそんな弱気そうなとこ、初めて見ましたよ!」
「うるせーな、そもそもおまえが告るだけ告っといて逃げるから、ややこしくなったんだろ!」
 笑いながらそんなやりとりをして、拓海はやっと、今の出来事が本物なんだと思えてきた。
 啓介は、嘘をついているわけでも、無理して言っているわけでもない。真剣そのものだと、態度で伝わった。
「この一週間、すっげー考え込んで、頭痛かったんだからな」
「そりゃすいませんでしたね」
「なんだその、可愛くねー言い方。『ぎゅーってしていいですか』って聞いてきたときの藤原、鼻血出るほど可愛かったのに」
 恥ずかしいことを掘り返されて、拓海は「わーっ!」と頭を抱えた。
「それはもう言わないでくださいッ!! 恥ずかしくて死ぬ!!」
「はー? ……『ぎゅーってして、いいですか?』『啓介さんのことが好きだったんです』?」
「うわあああ!」
 啓介が面白がって何度も言うので、拓海は耳をふさいでぶんぶん首を振った。
 そんなふうに続いた言い合いがふと止まると、啓介が安心したように息を吐き出した。
「…よかった。あれは冗談ですとか言われたら、どうしようかと思ってた」
 自信過剰の啓介さんらしくない、とでも茶化そうかと思ったが、啓介が本当にほっとしたように言うので、そこは黙っておいた。
 啓介が狭い車内で両腕を上げ、うーんと伸びをする。その様子になんとはなしに顔を向けると、はたと目が合う。
 しかも、結構な至近距離。
「あ…」
「……」
 キスできそう。
 真っ先に、そう思った。
 しかもそれはお互い様だったらしく、しばらく黙って見つめ合ってしまう。
 しょうもないほど、ドキドキする。
「……まずいな」
 同意を求めるような口調で、そう言われた。
「…まずいですね」
 頭が、くらくらする。ただ近くで見つめ合っているだけなのに、それだけで溶けてしまいそうだ。
「キスして、いい?」
 やけに可愛い聞き方をされて、拓海は胸がきゅんとした。
 何か答えようと口を開きかけたものの、何を言えばいいのかわからず、結局小さく頷いた。
 それを合図に、目を閉じながら、啓介の顔が近付いてくる。拓海も応えるように目を伏せて、自然と引き合うように顔を寄せた。
 唇が、触れる。
 途端に二人はびっくりして、お互いすぐに離れてしまった。
「……」
「……」
 キスしてしまった、と、二人は同時に目で語る。
 拓海は、まるで電流が全身を駆け巡るような感覚に、衝撃を受けていた。
 キスは初めてではないが、こんなのは知らない。ドキドキするとか、そういうレベルじゃない。股間直撃だ。
 この人は、運命の相手だ。ただ唇を触れ合わせただけなのに、そう直感するような、そんなキスだった。
 二人はしばらく見つめ合い、やがて無言で、また唇を寄せた。ちゅ、ちゅ、と軽いキスばかりをしていく。それだけでも、下半身が大変なことになるほど、気持ちよかった。
 しかしそれもだんだんと物足りなくなってきて、拓海は迷いに迷った挙句、雰囲気に負けて、啓介の上唇を舐めた。啓介の反応が気になってそっと目を開けると、びっくりしたような瞳とぶつかる。
「…意外。藤原、積極的」
 唇が触れ合ったままそう言われて、くすぐったさにぞくぞくする。気持ちよすぎて眉根を寄せて情けない顔をしていると、啓介がとろんとした目で見つめてくる。
 あんた一体なんて顔してんだ。拓海は心の中で毒づいたが、もう喋る気力もない。こういう状態を、腰砕けとか、骨抜きとか言うんだろう。
 止まってしまったキスに、拓海はほとんど無意識に舌を挿し込んだ。すると、啓介がよしきたとばかりに、すごい勢いでそれを絡めとった。
「んんっ!」
 舌が触れた瞬間、まるで導火線に火が付いたかのように、二人のキスは激しくなった。ざらつく舌同士を重ね合い、舐めとり、歯列をそっとなぞっては、角度をつけてまた舌を絡める。
 なんだか、ハリウッドのキスシーンみたいだ。拓海は霞む思考でそう思った。
「……っ…ん、ぅ……」
 めまいがして、全身の力が抜ける。
 ずっと想い続けていた人が、自分を求めて、キスをしている。それだけで、気を失いそうならい、頭がとろとろになる。
 はっきり言って、このままキスだけでイッてしまいそうだ。
「これ…やばいって…」
 低くかすれた声で、啓介が呟く。それはほとんど独り言だったようで、すぐにまた唇が触れる。
 そんな色っぽい声出さないで欲しい。とか思いながらも、自分の口からだって、とんでもない声が漏れている。
「ん…ぅ、はぁ……ん……ん…」
 出したくて出しているのではない。勝手にあふれ出てくるのだ。止めたいのに、止まらない。
 このキスは、危険だ。そう思うのに、身体が一切やめようとしない。言うことを聞かない。
 まるで別の生き物のように、啓介の唇を求めている。

 不意に、シャツの中に、体温が潜り込んで来る。
「わっ!!」
 突然のことで驚いて、拓海は派手に全身を跳ねさせた。
「わ、悪ィ」
 キスは止まり、啓介が驚いた様子で顔の横に両手を広げている。
「あぶねー…今、完全に無意識だった」
 バツが悪そうに頬を指で掻きながら、とても困ったような顔。逆立った髪の毛とは裏腹に、その表情はなんだか情けない。
 どうしても、唇に目がいってしまう。長いことキスをしたからか、さっきより少し赤い気がする。
「ごめん…これ以上やってたら、俺、おかしくなりそうだわ」
 啓介が顔を逸らしながらそう言い、拓海は寂しい気持ちになった。不用意に触られるのは少し怖い気もするが、キスはもっともっとしていたい。
 だって、こんな気持ちいいキス、初めてなのだ。
「……ダメなんですか?」
 気が付くと、拓海は思ったままを口にしていた。
「え?」
「おかしくなったら、ダメなんですか?」
 少し俯きがちに、啓介を見る。すると鳩が豆鉄砲を食らったような顔。
「ダメなんですか…って……藤原こそ、ダメじゃないのかよ? おまえ、俺の言った意味わかってるか?」
「わかってますよ。なし崩しでセックスするかも知れない、ってことでしょう?」
 まさかそんなにストレートに言われると思わなかったのだろう、啓介は目に見えてうろたえた。
「…言っとくけど、もしそうなったら、挿れるのは俺だぜ」
「ああ…そうか。でも別にいいですよ」
「はあ? おまえな…男にケツ掘られるんだぞ? ほんとにいいのかよ?」
「だって、啓介さん、俺のこと好きって言ってくれたじゃないですか」
「そりゃそうだけど…」
 うだうだ言い出した啓介に、拓海のほうが不安になってきた。キスまではありでも、男とセックスするなんて、本当は気が進まないのかもしれない。
「……啓介さんは、俺と、したくないんですか?」
 もう引き返せないほど興奮しているのに、このまま帰れと言うのか。拓海は泣きそうになりながら啓介を見た。
 拓海だってけして迷いがないわけではない。しかしだからこそ、今の勢いのまま突っ走ったほうが、怖くない気がするのだ。それに。
「…先延ばしして、後からやっぱ無理とか言われるの…嫌だし……」
 心細そうに拓海が言うと、啓介は苦々しい顔をして、突然慌ただしくギアを動かした。
「うわっ!?」
 クルマが急発進したせいで、シートベルトをしていなかった拓海はシートの上で派手に転がる。
「け、啓介さん? どこ行くんですか?」
「バカなこと聞いてんじゃねーよ。セックスできるとこなんて、決まってんだろ」
 ヤンキー丸出しの、忙しない喋り方。拓海がそっと啓介の横顔を見ると、どこか焦ったような、猛々しい表情をしていた。
 ふと視線を下げてみれば、股間が不自然なほど盛り上がっていて。
「………」
 恥ずかしくなって、拓海は慌てて目線をフロントガラスの向こうに移した。それから啓介に悟られないように、自分の下半身にそっと触れてみる。するとそこは啓介と同じような状態で、それどころかずいぶん濡れている。
 さっきのキスだけで、お互いこんなか。情けないような、嬉しいような、悔しいような複雑な気持ちだが、無性に幸せを感じた。




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